ぜつえーの日記

今から20年前、とある病院で玉のような男の子が産まれた。その笑顔は見る者全てを癒し世界中を温かい光が包み込んだ。世界もまたそれに応えるように豊饒な愛をもって大切に大切に育て始めたという。 10年後、己が生まれつき『童顔』『低身長』という業を背負っていることを自覚した少年は順風満帆と思われた己の運命に一筋の暗雲がたちこめ始めていることを意識した。 さらに10年の時が経ち、かような過去に唾を吐き捨て背負い続けてきた業を両腕に抱き抱えながらひとり笑顔で明日に向かわんとする胡乱で前向きな怪物の姿がそこにはあった。

踏み台の上にも20年

 

こんにちは、ぜつえーです。

 

 

このブログも開設してから早いものでもう2時間が経ちました。

 

月日の流れというのは本当に早いですよね。

 

 

さて、突然ですが自己紹介をもう少しだけ詳しくしたいと思います。

 

記憶喪失になったら役に立つくらいは書きたいと思います。

 

一見仰々しいと思われるブログの説明欄は最初こそですが

 

だいたいは書いてある通りです。

 

いったいどれほどの人に共感して頂けるかはわかりませんが、

 

とにかく人生の長い時間を劣等感と共に生きてきたことは事実です。

 

背がすらりと高い人

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顔が整っている人

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脚が細くて長い人

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頭の良い人

 

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おしゃれな人

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なんで全部スカイツリーにしちゃったのか自分でも分かりませんが僕から見た他の人類はだいたいこんな感じです。

 

まあ考えだしたらキリがありませんよね。皆さんはどうでしょうか。

 

私の好きな小説に森見登美彦さんの『四畳半神話大系』という作品があります。

 

“薔薇色のキャンパスライフ”を送りたくて何度も大学入学時に時間を巻き戻すも、不毛なサークル活動やくだらない友人の悪ふざけに嫌気がさしてしまい結局自分の選択を後悔して不満を口にする主人公『私』に対し、師匠と呼ばれる男『樋口清太郎』が放ったセリフです。

 

『貴君はまだ人生が始まってもいない。ここはまだ御母堂のお腹の延長だぞ。』

 

私「悪くはないんです。人も羨むような人生の成功も手に入れた。でも…なんか物足りない…こんなものだったのか?と…。あるいはもっと、有意義な人生があったかもしれない。もっと薔薇色で、もっと光り輝いていて、一点の曇りもない学生生活を思うさま満喫していたかも…。」

 

『どうしたんだ?寝惚けているのか?』

 

私「私は自分の“可能性”を信じてここまでやってきました。どうにか上手くいったけど、なぜだか心が寒い!…私が選択すべきはもっと別の“可能性”だったかも!…一回生の頃に選択を誤ったのかもしれない…」

 

 

『可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。君はバニーガールになれるか?パイロットになれるか?アイドル歌手に、必殺技で世界を救うヒーローになれるか?

 

私「・・・なれません。」

 

『なれるかもしれん。しかし、ありもしないものに目を奪われてはどうにもならん。“自分のほかの可能性”という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。いま、ここにいる君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。君が有意義な学生生活を満喫できるわけがない。私が保証するからどっしり構えておれ。』

 

私「・・・。」

 

『“薔薇色のキャンパスライフ”など存在せんのだ。なぜなら世の中は薔薇色ではない。実に“雑多な”色をしているからね。』

 

 

 

 

 

 

名言だと思いました。

 

心のどこかで分かっていたつもりではいましたが

 

いざこうしてずばりと言われるとなかなかハッとさせられるものです。

 

とは言え一度きりの人生ですから、「あの時ああしていたらもっと・・・」と考えてしまうのは仕方のないことなのかもしれません。

 

しかし、一度きりだからこそ、やり直しがきかないからこそ、後ろを振り返ったり、よそ見をしている暇はないのだと思いました。

 

毎日少しずつでいい、自分のためになんかしてやろう。

 

そんな風に思って毎日を生きている筆者です。

 

あ、ちなみにこれはアニメ版のセリフなのですが、もし気になった方がいましたら原作もチェックしてみてくださいね。

 

さあ好きな本を一冊紹介できたところで、だいたい予想はついてきたかと思いますが、筆者は人と話すことがなによりも好きです。そして多趣味(とよく言われます)です。

 

話すことについて、中学生の頃は『喋らないほうがモテる』と本気で思っていたので

クールな俺かっけぇ・・・と思いながら3年間過ごしました。

そんなことはないと気が付いた(←良かった!)高校生のころ、接客業のアルバイトを始めました。

知らない人どころか友達ともろくに喋らない人間がなぜ接客業を始めたのかは一生かけても解けない謎となりましたが、今にして思えばこれが良かったのだと思います。

そもそもクールが空回りしていた3年間も、狙ってやっていたのですから元々コミュニケーションが苦手だったわけではなく、使ってこなかった筋肉を3年ぶりに動かすのは骨が折れましたがすぐに人間らしい人間に戻ることができました。

 

また、中学生の頃に胃腸炎を発症してから完治後も半拒食症になるまで追い込まれていた私の体も、『バイト終わりに食べた一杯のラーメン』によって回復しました。思えばこれさえなければ成長期を青春の中に置き去りにすることもなくすくすくと成長できていたかもしれません。

 

その後も小さい体を引きずりながら高校生活を送っていました。小さくて顔つきも子供っぽいので近づきがたい印象はないと思いますが、背が高く堂々としている人を見ては人を殺してしまったカオナシのような顔をしていました。

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筋肉のように努力で解決できる問題であればいくらでもできたと思いますが、身長はなかなかそうはいきません。当時の自分は「もしかしたらこのまま伸びないのではないか・・・」と心配でたまりませんでした。背が低く、力もないので喧嘩になったら負けますし、少しでもなめられたらいじめの対象にもなりかねません。下から人を見上げては、できるだけ優しい言葉を盾にして生きてきました。そんな力だけがついていきました。そんな自分に、今、かけてあげたい言葉があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません伸びないまま成人しそうです(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしね、もういいんですよ。

 

こんな自分に嫌気がさしますか?さしませんよ

 

何年の付き合いだと思ってるんですか、もう20年ですよ

 

期待してないわけじゃないです。これから伸びるってんなら

 

それはそれで結構ですよ、いくらでも伸びてください。

 

ただもう、いいんですよ。伸びなくたって

 

 

生きてさえいれば絶対良いことあるんだって(唐突)。

 

高いところに手が届かないとき、踏み台によく乗ります。

 

踏み台に乗り続けて20年が経ちましたよ。

 

20年も乗ったんだから、あと10年だって20年だって乗りますよ。

 

少しでも油断すると人間はすぐ自分のほかの可能性に目を向けます。

 

“可能性”ではなく、“不可能性”を考えなくてはいけないんです。

 

そう思ったら、ある日突然体が軽くなったような気がしました。

 

「いままで」を考えていた自分が馬鹿らしくなって

 

「これから」を考えるようになりました。

 

やりたいことが、たくさん出てきました。

 

いつの日か「今日の自分」を誇れるような毎日を送らなくてはいけない。そう思いました。

 

このよくわからない世界に、その意味もわからず生まれ落ちて、なにも残せないまま消えていくわけにはいかん落書きの一つでも死後百年、二百年と残してやるんです。

 

来月5日に20歳になる自分は、こうして整理してみると、自分でも笑ってしまうほど

奇妙な脳みそをした怪物になっていました。

 

20歳から新たに始まる毎日がいかなる進展を遂げようと、怪物は生きるつもりです。

 

命を与えておいて、その後は死ねと放り出した神様

 

「わしが無責任じゃったすまん」と土下座させるほどに、生きるつもりです。

 

 

 

趣味や特技はたくさんありますが、一言で言うと

 

『楽しく毎日を生きること』です。詳しくは追々書いていきます。

 

 

 

良い週末をお過ごしください。